俺の住むボロアパートに屋上はないし、休みの日にわざわざ学校へ出向くのも気が乗らなかった。
かと言ってこの8階建て住宅には知り合いが住んでいるわけでも、特別な思い出があるわけでもない。
俺にとって何ら関係のない当建物は俺と虎鉄の家の真ん中辺りに建っているから、唯一接点を結び付けるとしたら、自宅から彼の家へ出向く際に通る道だというくらいだ。
そんな建物にどうして関係者以外が立ち入っているのか。
単純に、高いところに登りたかったという理由より他ない。
この住宅の屋上には部外者が立ち入れるのかどうかすら俺は知らなかった。

「普通は出入り出来ねぇだRo」
「俺、都会の8階建てなん住んだこつなかけん、そげんこつ知らん」

拗ねたように顔を背けて見せたら、ちょっとした苦笑が聞こえた。
でも、下から見上げる虎鉄は俺の側まで来る気はないようだった。そもそも、

「なして、お前がここにおるとね…」
「偶然後ろ姿見掛けちゃったモンで、猪里気付かないからストーカーしてみたらこんな団地に入ってって、 猪里がこんなトコに用事あるなんて知らなかったから、もし浮気だったりしたらどうしようって思って」
「はい、はい、はい、どうせそげんこつやろうと思ったばい」

多分虎鉄は少し不機嫌そうな表情をしている。俺の心配と不安を返せってところか。
でも、どうして俺がここに来たのか理由を聞いてこない辺り、虎鉄は俺の心を見透かしているのだろうか。

「帰んZo」
「家帰っても暇やったけんここにおるんやけど…」
「じゃあ俺ん家に強制連行Da」
「…さっきまで何しとったん、虎鉄」
「ンなの、勿論猪里のアパートに向かってましTa」

こいつの、人の家に連絡なしに来ようとするところも、聞かれたくないことを聞かないところも、実は好きだった。
幼い頃から目に焼き付けてきた風景、遠くに見える山、陽が落ちるまで登った大樹、ここへ来て高所へ登ったとしても同じ景色が見えるわけはない。
屋上へ入れたところで駅のホームやコンクリートばかりが視界を覆い、然して気分も変わらないだろう。
帰りたいなんて言ったところでどうしようもないことも知っていた。

さっきより随分と軽くなった腰を上げる。
今は俺よりも低い位置にいる彼に泣きつくつもりはないけれど、抱きすくめられれば少し楽になる気がした。
しかし自分から出来る程器用ではないので、この後俺は、今日に限ってなかなか擦り寄ってこない恋人に少しもどかしい思いをするのだ。


08/08/07