調味料と愛の話


「い、いの、り…」
「あー?」
「死ぬ…マジ、し、ぬっ…!」

虎鉄は今、彼最愛のハニーに殺されかけていた。凶器は包帯。数十メートルもある長いそれを首に掛けられ、本気なのか冗談なのかぎりぎりと締め上げられている。虎鉄は猪里から逃れるように背を向けていたが、後ろから取っ捕まえられては回避不可能だった。両手で首の包帯を引っ張って耐える。
この包帯は昨日の夜に部活メンバーで行った、一日フライング仮装パーティの名残だ。

「ごめ、ごめんてっ…明日作って来、」
「昨日それ言ったばい!俺去年からずっと楽しみにしとったとよ、かぼちゃのパイ!」

虎鉄はこの日、ハロウィンデーにかぼちゃパイを焼いてくる約束をしていた。パイは昨年も猪里にやったものだ。その時の彼は虎鉄の作ったパイを相当気に入ったようで、あっという間にホールを食べ切ってしまった。
それでも「もう少し食べたかった…」とパイの欠片を口に運ぶ猪里の呟きに「じゃあ、来年も作って来ようKa」と苦笑すると、猪里は身を乗り出して頷いた。
それから一年、猪里は時期が近付いてくると、度々かぼちゃパイの味をうろ覚えで思い出しては楽しみにしていたのだ。

「なして今日やなかと!」
「焦がしたんだYo思いっきり、材料余分に買ってなくて、んで出来たてがいいと思ったから午前中作って、そんで失敗して…っもう離して死ぬ!」

猪里はさすがにちょっと可哀想に思えてきたのか、ぎりぎりと締めていた包帯の力を少しだけ緩めた。
普段から菓子作りをするわけでもない虎鉄。適当にやらずに、本を見ながら真剣に作ればちゃんとそれなりに美味いものが出来るのだ。が、この日は出掛ける支度でオーブンから目を離したのが運の尽き。確かに時間は計っていたが、どうしてかオーブンから出したパイは丸焦げだった。

ちゃんと約束を覚えていたのも、出来たてを渡そうと思ったのも、勿論猪里が愛しいからだ。なのに間に合わせられなかった自分を何度か責めたくもなったが、ちょっとそろそろ本当に苦しい…と口に出そうとしたところで、首の包帯ははらりと落ちた。

「っHa、マジ、殺されるかと、思った…」
「しないっちゃ。虎鉄ば殺しても何のメリットもなかとよ」

一通りお仕置きしたらすぐに落ち着いたらしい猪里は、息をついてから虎鉄の前に回って頭を撫でてやった。パイの代わりとして申し訳程度に市販のクッキーを渡されていたので、虎鉄はものの1分50秒苦しい思いをしただけで済んだ。

「そんな食いたかったNo?」
「去年、ばり美味かったけん」
「つーかそこまで気に入ってくれたんなら別に今日じゃなくても作ったのに」
「…一年に一回やと、特別な感じするやろ?」

小さく視線を反らして言った猪里の言葉。オレのパイを特別に思ってくれてたのKa、と虎鉄を悶えさせるのに充分な効果。思わず抱き締めようとしたが、先程の包帯をちらつかせながら、

「明日絶対作って来るとよ?」
「畏まりました」

黒く微笑まれては手が出せなかった。
そこで猪里はやっと機嫌を直して、テーブルにつくとクッキーの袋を開ける。

「…アレ、本の通りに作っただけなんだけどNa」
「パイ?」
「N、別にオレ菓子作りに自信あるワケでもないし」

猪里の座った椅子の正面に腰を下ろし、虎鉄は頬杖付いてそれを眺める。猪里は去年のパイの味をよく覚えているわけではなかったが、兎に角美味かった、とだけ記憶していた。それがどうしてだったかは全く覚えていない。でも、虎鉄の手作りのものを初めて貰ったのが確かそのパイだったのだ。まだ付き合い始める前、告白すらなかった頃。

「なんでやろね…とりあえず美味かった」
「オレの愛詰まってたし?」
「…ん?」

クッキーをくわえながら猪里が聞き返すと、虎鉄は目を細めて、思い出すように。

「あの時、猪里が好きだって、自覚すんのはまだ先だったけど、気になってた頃でSa。猪里の誕生日は先だし、バレンタインなんか無理だから、喜んで貰おうって気合い入れて作ったんDa。猪里の為だけにNe」

クッキーを咀嚼しながら、猪里は“猪里の為だけ”というフレーズにちょっとどきりとした。それを知られないように、ふうんと相槌を打って、二枚目のクッキーに取り掛かる。

「菓子なんて作ったの、多分オレの人生で二度目くらいだったZe」
「…それにしては美味かったばい」
「だから、愛なんじゃねぇかNa?って」

猪里はがりがりとクッキーの欠片を噛み潰しながら、虎鉄の言葉を頭の中で繰り返す。

もしかしたら虎鉄の言う通り、あれは虎鉄の、俺に対する愛情がぎっしり詰まってたんじゃないかって…

「猪里、顔赤い」
「へっ…」

虎鉄に言われてクッキーを噛る手も止まっていたことに気付く。にやにやと笑う虎鉄。思わず「ばか!」と言って虎鉄の頭を叩いた。
猪里は最後のクッキーの欠片を口に放り込んでから、この味よりは絶対に虎鉄のパイの方が美味かった、と思った。








翌日。

「どう?美味い?」
「…ん、とな」
「ちょっと砂糖少なかったかNaーとか思ったけど、全然綺麗に焼けたし…」
「去年のが美味かった気がする」
「…え」
「虎鉄…」
「えっ、ちょっと、オレの愛は去年より確実に増量してますYo!増し増しDa!」
「ん…これもちゃんと美味かばってん、去年のが…」
「っ、そんな目で見るなYo…オレの愛信じてmy honey!」

虎鉄の愛情が増えたか減ったか、この日の夜に痛い程確認させられることを、多分猪里は分かっていたはずである。


08/11/01