5cm上の勇気と


思いっきり。
ベタなデートを仕組んでやろう。ドラマみたいに在り来たりだっていいだろ、あいつと二人きりの一日なんだから。


ただ二人で出掛けるだけのデートまでこじつけるのに、苦労がいるなんて知らなかった。彼女らはその日のうちに誘ったってへらへらと着いてくるばかりだから、県内のそこまで遠くない街まで行って帰るだけの日帰りデートに、この常勝無敗・虎鉄大河サマが一週間も粘らなくてはいけないなんて。
交通費が勿体ないとか。遠くも近くも変わらないとか。遊園地や何かならまだのってくれるかもしれないけれど、春休みももう終わりそうだ。多分貧乏学生の猪里は着いてきてくれないだろう。だから猪里のことしか考えないで悩みに悩んで決めた初デートの晴舞台だってのに、お洒落なショッピング街なんてどこにでもある。でも猪里の希望を優先した結果だ。
公園の木が少し色付いてきた初春の週、オレは何度も恋人の腕を引っ張ったのだ、たった二週間前、オレを舞い上がらせる返事を返してくれた猪里に。

最初に猪里は少しだけ困ったような、面倒臭そうな、でも照れたような顔をした。それから一週間ずっとデートをせがみ続けたオレにとうとう呆れた声で、
『でーと、なん男同士や言わんばい。仕方ないけん付き合ってやるばってん、つまらんかったら承知せんとよ』
なんて言ってオレと“遊びに行く”ことを承諾してくれた。出掛けるのは嫌いじゃない筈だから、“デートしよう”って誘い方が恥ずかしかったなんて、オレの恋人超可愛いだろ。猪里は最後まで遊びに行くだけってぶつぶつ念を押していた。恋人同士なんだから、それがデートってことになるんだぜhoney?恋のお付き合いに慣れない恋人にはゆっくり時間を掛けてあげようとは思っているけれど。

どうしたら猪里が楽しめるルートになるだろうか。
あれから頭の中をあいつで一杯にして、楽しそうに喜ぶ顔を沢山たくさん浮かべたら、何の捻りもない平凡なスケジュールにしかならなかった。やっぱりこのオレをここまで悩ませたのは猪里が初めてだ!

もっとロマンチックで相手をときめかせられるような、そんなところに連れて行ってやろうって思っていた筈なんだけど、まずオレと猪里じゃ趣味と性格が違いすぎる。となれば相手に合わせてエスコートするのがデートの基本、常識だ。本当は遠出したかったけど仕方ない、それならそれで最高を尽くすっきゃない。勿論どんなスケジュールでだって、楽しませる自信がないわけじゃない。…猪里といるだけでどこだって楽しい場所になるってのは、大前提ってことで。
街中は少し歩くことになるけど、いつまでも歩かせてばかりじゃいけない。移動範囲は広くなく、いつでも腹ペコなハニーの為に、ちゃんと寄り道用の喫茶店もしっかり調べて。彼が寄り道したがりそうなルートを通って。OK、予習は上出来。
着ていく服もバッチリ、満足するまで何時間も選んだんだ。本当はもう少しアクセサリー付けたいけど呆れられたらカッコ悪いから、ここは我慢して控え目に。
待ち合わせ場所も完璧で、それなら普段遅刻魔のオレがちょっと早く行って先に待ってて後から来たあいつを驚かせて、それから二人で…手なんか繋いじゃったりして?

あー、眠らないといけないのに。

「なんでこんな時間になっちまうんだYo…!?」

信じたくないが待ち合わせ時間まで30分。さっき起きるとかどこまでオレはダメなんだ、アラームかけたくせに止めちまったら意味ねぇじゃん!せめて二重にしときゃ良かった!
10分で風呂入って10分でセットして、10分で支度…出来たとしても、あ、ダメだ遅刻。5分もあれば待ち合わせ場所まで行けるのか?行けたらいいのになぁ。自転車は邪魔になるから結局頼れるのは自分の足だけかよ、ちくしょう。
凄まじい勢いで家飛び出して、携帯で時間見ながら全力疾走。なのによりによって信号が赤だったり途中で危うく転びそうになったりで(派手に転んだりなんかしたら台無しだ)今日の運勢最悪なんじゃないだろうか。気付けば待ち合わせ時間から10分も過ぎていた。猪里は時間にしっかりした優等生だから、もしかしたら10分より長く待たせちまってるのかも。
本当情けないスタートだ。日頃からもっとしっかりしてりゃ良かった。リセットボタンでもあればいいのに!

そうこうしてるうちに前方には目的地。…wow、あれに見えるは最愛のエンジェル。疎らとも雑踏とも言えないような、駅前の空間に設置されたスペースが待ち合わせの場所だった。木の周りをぐるっと囲むように作られた丸型ベンチに目を向ける。心底暇そうだ。放っておいたら悪い虫が付き兼ねない。息を切らしながら余裕も何もないだろうに、足音に気付いて顔を上げる猪里に手を振った。

「ま…待たせたNa、sweetHoney!」
「遅か」
「ごめんなさい」

カッコ悪くても平謝りするに越したことはない。オレ達つい最近くっついたばかりなのに、早々とハニーを怒らせてしまうなんてなんたる不覚。これ以上機嫌を損ねないよう充分気を付けなきゃいけない。
それから立ち上がった猪里の視線、じろりと上から下まで眺められて首を傾げてみれば、

「んー…やっぱしチャラチャラしとうなぁって」
「あ、え、結構減らしたつもりだったんですけれども…NG?」
「いや、別に気にせんよ。虎鉄んこつやけん、予想通りったい」

…オレにしてはちょっと地味かと思ったくらいだったんだけど。

でも今日の猪里はオレが焦る程不機嫌じゃなくて、寧ろ御機嫌みたいだった。ぱっと笑顔を見せてくれて、と思えばさっさと駅へ歩いてしまって。置いていかれる前にと追い掛けて並んだ。もしかして楽しみにしててくれたのかも?そう思うとなんか幸せ。

---

地元駅からそう遠くはないこの街は、休日の昼でも東京みたいには混んでなかった。映画館があるわけでも、特別楽しいデートスポットがあるわけでもない。けど、綺麗な通りと噴水のある少し大きな公園があって、猪里と歩くには丁度良い場所だった。
スポーツ用品店とか花屋らへんは猪里も楽しんでくれる。その辺一通り見てから、時刻は昼時。他愛ない会話中にも空腹を訴えてくる猪里の為に、まずすべきは腹拵えだ。雰囲気の良さそうな店ならちゃんと事前に調べておいたから、腹に入れば何でも良いと色気のないことを言う猪里を連れて通りを歩く。本当は手を引きたかったけれど、当然ながら拒否をされてしまった。が、慎重に行けばきっと近いうちに手だって繋げる筈だ。

(これくらいでヘコむようじゃ、猪里は口説けないからNa)

いつも学校でする程度のどうでもいい会話をして、店に着く頃には話の流れが相当味気ないものだったと気付いて少し凹む。ああ、いやいいんだ。悪い話だったわけじゃないんだ。ただ、オレとしては“初デート”なんてロマン溢れる一日なんだし、もうちょっとラブのある会話がしたかったってだけで…別に男子高校生らしい話題だって悪かないんだけど…いや、話の矛先だった長戸に非はない。全くない。ごめん長戸。

「虎鉄、もたもたしとうと置いてくけんね」

ふと見れば数歩前で店の扉に手をかける姿があって、オレが先に扉開けてお先にどうぞーとかやりたかったのになぁと思いながら後を追った。

店内は思った通りオシャレで雰囲気良くて、でも高い店じゃなくて、例えば女の子連れてきたなら綺麗なとこ知ってるのね、なんて好感度上がったりするんだけど。案内されてついた席も端の方で結構いい感じだ。でもやっぱ猪里は、内装をざっと見渡しはしたけどすぐメニューをとって、暫く眺めると美味そうなモンばっかやねーっと答えた。うん、可愛いからいいや。

ここに来て、自分が少しどきどきしていることにも気付いた。猪里にとっては遊びに来ただけだからこんな緊張感もないんだろうけど、オレとしては本当に好きな奴と初めてのデート。それを意識しすぎてるからさっきから失敗が多いんだろうか。翻弄されてるんだよなぁ、楽しそうに食べたいものを選ぶ猪里をじっと眺めて、やっぱり可愛いなぁと頬が緩んだ。

「虎鉄?」
「…あ、何?」
「俺決めたけん。呼んでもよか?」

見惚れててろくにメニューも見てませんでした。ちょっと、ちょっと待ってね、と急いでメニューを選んで、近くの店員を呼び止めると猪里の選んだメニューは低コスト。そりゃ、学生の上に一人暮らし、ついでに月末なんだからあんまり高いモン頼めないよね。恋人の財布事情くらいお見通しなオレがそれなりに大きなパフェを店員に指し示すと、手前から何か言いたげな視線を感じた。自分そっちのけで甘いモノ頼まれたらむっとするのも当たり前。でも大丈夫、これは寧ろ完璧。
時は早送り、食後に運ばれてきたデザートをそのまま向こうに滑らせた。きょとんとした猪里と目が合う。

「キャラメルは嫌いじゃないよNe?」

ナプキンに包まれたスプーンも一緒に目の前に置いてやる。じっと手前のキャラメルプリンパフェを見て、もう一度オレの方を見上げるキャラメルハニー。

「一口くれるっちゃ?」
「Nや、どうぞまるごとお納め下さいNa、ハニー」

やっぱり急に奢られるとは思わなかったみたいで、最初だけ少し驚いたように見せたけれど、すぐにふわっと笑顔になった。これにも勿論どきっとした。少し頬を染める嬉しそうな笑顔。

「虎鉄、ありがと」

食べ物絡みには滅法弱いもんだからすっごい幸せそうな顔してスプーンに手を伸ばす。本当、この笑顔が見られただけでオレも幸せ。緩む頬なんか抑えきれずに、片肘ついたまま視線はずっと外せない。一口目にキャラメルソースのかかったバニラアイスを掬って、嬉しそうに口へ運んだ。甘いモノはオレだって大好きだけど、今は食べるより可愛い恋人の笑顔を見つめることを優先したんだ。本当はちょっと、自分のも頼もうとしたけど、こっちのがカッコいいでしょ?

本当はレジに立つ猪里を押し退けて全額出してやれたらもっともっとカッコいいんだろうなぁ…と夢見たりもしたけど、現実にはそこまで裕福じゃないのが高校生の寂しいとこ。

でも、何だかすごくご機嫌な猪里にまさかの一口やろうかってサプライズが起きたんだぜ。ものの数分で半分以上減ったパフェの上の方を少し掬ってくれた。溶けたアイスと生クリームをほんの少し。そのままオレの口まで運んでくれたら良かったのに、差し出されたのは柄の方だった。だけど、幸せ。やっぱり今日の運勢最高。

「どこ行こっKa。行きたいトコある?」
「俺ここら全然知らんし、虎鉄が決めてよかよ」

猪里は元々遊び歩くってことをしないから、疲れそうなことや無駄遣いはあまりしたがらない。定番の映画にでも行こうかと思ったけど今は面白そうなのやってなかったし、猪里は自分が余程観たい映画じゃなきゃ観に行かないだろう。どうせ一年もすればテレビでやるから、わざわざ金払わなくてもいいやって考えみたいだ。
それならすぐ行ったところに大きめの公園がある。猪里はゆっくりした時間が好きだし、あそこには木や花壇も沢山あった。公園中央の広場には噴水も。
昨日調べながら考えてたルートをすぐ思い出して、今度はちゃんと道をエスコートするんだ。退屈はさせないように。

公園までの道はそう煩くないし、人も多くないし、頭ん中に叩き込んできた綺麗な道順を辿って猪里を連れて。甘い雰囲気ってわけじゃなかったけど、猪里が楽しそうに笑ってくれてオレもベラボー嬉しかったんで、まあ良しってことで!
それと、猪里には内緒にしてたけどこの公園の入り口付近には週末になると屋台が止まる。甘い香り漂わせるポップな車体はちゃんとあるかどうか少し不安だったけど、猪里が唐突に反応を示して早足になったもんだから、解りやすくて助かった。

「虎鉄、虎鉄、クレープったい」
「はいはい、食ってこうNaー」

目なんかきらきらさせちゃって。本当にもう、かわいいったらない。こんな時の猪里は猪突猛進だから、いつもなら「子供扱いすんやなか、あと頭なん撫でんと!気持ち悪かっ」なんて罵声飛ばしてくるところを、今はクレープが猪里の視線を独り占めだ。つくづく食べ物に弱いなあと苦笑して、食ってばかりになっちまったけどそりゃもう相手は猪里だし。餌付け以外に機嫌良くする方法も考えとかないとなー、なんて次回までの課題と思っていたら、今隣にいた猪里はもう数歩先の屋台の真ん前にいた。

すぐに追い付いてふわふわ髪の後ろからメニューを覗き込めば、どれも美味そうなのばっかり並んでる。クレープは先月ぶりで、さっき甘いモノ食べなかった分も含めて、ケーキとアイスの乗ったいちごのスペシャルに決める。それから猪里の方に向き直ると、また少し考える表情を見せてから「コレ」と指差した、チョコレートがけのバナナクレープ。実に妥当。本当はオレだって金持ちなわけじゃないんだけどその微妙な値段に、えーいもう出しちまえ、と猪里より早く紙幣をひらり。驚く猪里。余裕を装って何でもないように笑って見せるさ。

「…さっき奢ってくれたんやし、こんくらい俺自分で払えるとよ?」
「い、いいんだYo。猪里の笑顔が見れるんなら、何だって買ってやるZe」

たかが小銭数枚だし。格好良いトコ見せるってより、なんか貢いでるだけのような気もするけど…この際どうだっていい。だって猪里が心なしか照れてるみたいで、それからあっさり「今日は何や太っ腹やね、ご馳走さま」ってにこにこされちゃ。オレを打ち抜く無敵の笑顔。好感度上がったかなって内心ガッツポーズをとった直後。

じゃあこれも…って指差されたのは、メニューの左上に少し大きめの写真が載せられた、オレのより豪華なベリースペシャル。合計額が紙幣一枚で足りなくなったじゃないですか、スイートハニー?大胆だね。

「美味そうやと思ったとばってん、値段高くて諦めたとこやったばい。虎鉄、ありがとう!」
「それはどうもyour welcome…」

屋台のお姉さんから差し出された二つのクレープを両手に受け取ってにこにこ笑う猪里があんまり可愛いもんだから、これくらい損した気はまるでしなかった。念の為確認しておくが、オレは猪里の恋人であって、決して彼専用の財布ではない。惚れた弱みって奴です。しょうがないね。

中央にメインの噴水がある広場には煩い子供も妙なバカップルもいなくて、ちょっとした通行人だとか休憩中のリーマンだとかがちらほらといるだけだった。前者ならオレが、後者なら猪里が不機嫌になってたとこだからラッキーなことだ。空いていたベンチで残りのクレープを頬張るけど、もう猪里はバナナの方をすっかり腹の中に収めて、二つ目のスペシャルを半分まで減らしていた。ほんと、その体のどこにそんな入っちまうんだか。
いちごを噛る手を止めて、クレープを美味しそうに堪能する猪里を横から見つめる。

猪里は食べ物に関しては本当に美味そうに食べるもんだから、何だか見ているだけでも幸せになって、ついでに胸の高鳴りも再来した。今日はオレばっかドキドキしてそうで悔しいな。エスコートする側としては、やっぱりお姫様にもドキドキして欲しいのに。
…ああもう。なんでこんなに好きなんだ。

「…俺ん顔何か付いとう?」
「E…あ?」
「こっち、じいっと見よるけん。そげん凝視せんと…」

最後の一口を口の中に放り込んで、むぐむぐしながら見つめ返されて。ほんのちょっとだけ赤くなった頬で、赤い舌でぺろりと舐める仕草にちょっとだけ、ほんと少しだけ欲情したんだけど、情けない王子様にはまだそんな勇気なかったんだ。
付き合ってすぐ食っちまった女は沢山いた筈なのにな、本気になったら…否、相手が猪里だとどうもダメなんだ。好きすぎて逆に手が出せないことなんてあるんだな。どうしても慎重に慎重にしなくちゃ…って。いざとなったら実はこんなに弱かったんだなあオレ、なんて苦笑して、頬っぺたに付いたクリームを指先で拭ってやったら、また恥ずかしそうに視線を反らす。かわいいなって、猪里のふわふわの髪を撫でた。ここまでが限界。
少し戸惑う姫に、出来るだけ優しく笑ってやった。

まだ陽は高かった筈なのに、楽しい時間の経過は早いもんだ。家までの移動時間も考慮して、夕方過ぎて夜になる前くらいにオレ達は漸く伸びをした。そろそろ猪里の腹が夕飯求めて鳴き始める時間だろうか。クレープがどこへ行ったのかは、猪里と早一年連れ添ってる身としては最早愚問と言える。
オレとしてはもっと夜になるまで帰りたく…帰したくなかったけど、比較的真面目な猪里ちゃんは直帰して台所に向かうことしか考えてないだろうな。気付けば勢いのあった噴水も穏やかな雰囲気に変わり、うっすらと夕陽も見え始めていた。
オレが先に立ち上がって、座ったまま見上げる猪里に手を差し伸べて、さあどうぞ姫お手を。
いや、まあ呆れた顔されんのは慣れてますけど。

「腹減った…」
「じゃあ、良い子は早く帰りましょうKa」

オレの手を取らずに立ち上がった猪里に笑いかけて、呆気ない一日だったなぁと思う。この後は電車乗って、猪里を家まで送ったら、俺達の初デートはそこでおしまいなんだろう。色々考えてた筈なんだけど、実際には対したことしてなかったのを思い返して、若干の不満足感。なんか、なんかが足りなかった気がしたんだけど、でも猪里と楽しく過ごせて、いつもの学校帰りお買い物デートじゃ出来ないことして。

思い描いてたモンとはなんかちょっと違ったな、とは思ったけど、猪里が楽しそうだったならこれはこれで…なんて前向きに考えながら、電車乗って。事実オレだって楽しかったよなぁ。

学校とわりと反対位置な駅から猪里のアパートまでは、歩いて10分の猪里's通学ルートより少し遠い。駅より学校寄りのアパート選んじゃってる辺り、あまり遠出しない猪里らしい。駅からはオレの家のが近いけど、男に付き添いはいらんって言う猪里にお願いして、どうにかアパートまで送らせて貰えることに成功。
でも困ったのは、あんな楽しく話してた話題がすっかりなくなっちまったこと。不自然な無言のまま歩くなんて、気まずいってより寧ろ焦るんですけど…

「猪里…」
「…うん?」
「今日、楽しかった?」
「ん、楽しかった」
「…そっKa、なら良かった」

こういう時の会話ってなんでこう続かないんだろう。頭を掻いて考えながらひたすら歩くけど、これ、どうしたらいいかな。
見上げれば薄暗くなった空にうっすら月が出ていた。隣の猪里にそっと目をやると一瞬視線が交わって、慌てたように反らされる。

(あ、)

そこで、なんか不完全燃焼って思ってた、もやもやしたモンの正体がなんとなく分かったんだ。

そっか。そうだよな。空いた片手をぎゅうと握る。オレにはまだあと一歩の勇気とか、自信とか、そういうモンがなんかちょっと足りなくて。折角の初デートだけどこんなもんかなって物足りなく思ったのは、もっともっと分かりやすい一歩がなかったからだ。
握り拳作って開いて、心なしか震える手。こんな、こんなに自信ないっけ?オレ。天下の虎鉄様はいつからこんな弱くなったんだか。こんなに好きになったの初めてなんじゃないかってくらいなんだ。惚れた弱み?なんか違うな。要するに、恋愛経験積んでるオレだって多分、猪里と同じくらい初心者ってこと。スタート地点から一歩くらい踏み出そうぜ。キスしようなんて話じゃないんだ。昼間のあの時より、無言で歩いてる現在が一番のチャンスなんだ。

「…Na、猪里、」
「ん?」
「……えー…と。…何つーか、その…」

歩く速度を僅かに遅くすれば、猪里も合わせてくれる。心臓痛くなってきた。いざとなると何も出来ないんだなぁオレ。
たかが、これくらい。

どう切り出せばカッコよくなるかとか。何て言ったらドキドキして貰えるかとか。色々考えて、昼間のうちに考えとくんだったなーとか思って。

「何?」
「…えっと、Na。」
「うん」

もっとカッコよくリードすべきだって、分かってんだ。

「……手、繋が…ない?」

気付いたら立ち止まってて。何の捻りもないし、ついでに語尾の弱々しいこと。拒否られたらやだなーとか、今までの経験じゃこんな恋人恋人しなかったし、後から考えてみればたったこれだけのこと。ただ、好きな人と初めて恋人として手を繋ぐってだけのこと。それがなんでか、どうしてか勇気のいることでさ。

「あ、そのNa。嫌だったらいいんDa、つーかこんなん口で言うことじゃねぇよNa、普通ナチュラルに繋ぐモンだって…」

半笑い。このまま強引に繋いじゃえばいいのにさ、オレの手は猪里の手を掴むことなく定位置でぶらぶらしてた。カッコ悪い。隣の顔も見れない、そんな状態で、やっぱまだ無理かーって、でも二週間で手繋ぎってオレにしてはゆっくりすぎるよねって頭ん中まで早口になって、それから。

「…ん」

ふい、と横を向いて視線は決して合わせてくれないけれど、下の方、それこそ繋ぐ手の位置に、情けないオレの方へと少しばかり傾けられた左手があった。それに気付いて一瞬戸惑ってどうすべきかってバカ、何やってんだオレは。

「っ…早よ掴まんね!俺、手ぇの繋ぎ方なん…知らんけん」

あんまりオレが戸惑ってるもんだから、猪里が、あの猪里が痺れを切らして左手をずいと突き出してくれた。
エスコートするなんて言って。へたれすぎて、挙げ句に姫に助けて貰うなんてさ。オレは恋愛上手のふりして全然初心者だった。ますます惚れ込んじまう。
今度はしっかり気持ちを落ち着けてから、自分の右手をそっと伸ばしたんだ。

「ごめん、Na。ありがとう」

なんであんなに緊張してたんだかわかんないくらい自然に、不思議と煩かった心臓も少し落ち着いて。ああ、これだけでこんな安心するもんなんだ。しっかり繋いだ手に力を込めて、また一緒に歩き出した。

そこからはやっぱり会話も少なかったのにあっという間で、気付いたら猪里の自宅アパートの前だった。ここでオレ達の特別な一日が終わる。リザルトは結果オーライだったろうか。

一言二言と言葉を交わして、明日また会えるしね、って少し笑う。今日が終わっても明日からはまた学校だ。階段の前でそれじゃあなって潔く猪里から離れようとしたのに、くい、と体がつっかえた。手、繋いだままじゃオレ帰れないよ。

「猪里?」
「…」
「嬉しいけど…ホラ。オレ…」

俯き気味な猪里の顔を覗き込む。

「…っ、あ…」

はっと我に返ったのか、すぐ慌てたように手を離されて、視線が交わり、申し訳なさそうに見上げて反らして微笑んで、ごめんなまた明日って。軽く手を振られた。逃げるように方向転換して、猪里は錆付いた階段に向かった。
このまま素直に背中なんて向けられるとでも思うだろうか?ワケねぇよ。だって、そうだろ。そんな淋しそうな顔の猪里を、誰もいない暗い部屋に帰せるかって。
途端に強気になったオレは、どうしてもあの恋人を放っとくことなんて出来やしなかった。さっきまでの弱腰はどこへやら、勇気でも湧いたのか、淋しそうな猪里を見て守ってやんなきゃってでも思ったんだろうか。
駆け寄って腕の中に猪里を閉じ込めたのは一瞬だった。

「っ…こて…、」

猪里が動揺を含んだ声で呼んだ。ふざけて抱きつくのはいつものことだったろ。でも、こんな風にしっかり腕を回して、しっかり捕まえて離さないように。強く抱き締めて、でも優しく。オレの心臓の爆音に合わせて、伝わる鼓動も早くなっていく。猪里が戸惑う。だからそっと、

「オレも離れたくないんDa。だから、まだ一緒にいよう」

髪を撫でる。オレの右胸の辺りから一際大きく弾んだのを聞いた。こんな気持ちも、こんな想いもオレはきっと初めてだ。恋することがこんなに愛しいことだなんて。
少しだけ離れて顔を覗き込もうとすると、気付いた猪里が慌てて顔をうずめた。真っ赤な耳が見える。

「…Na、猪里、」

お願いだ。お前に何かする勇気は、オレにはまだないからさ。体温感じて。こくんと頷かれる。
キスとか、した方がいいんだろうか?でもまだちょっと。今はまだ、抱き締めるので精一杯。キスくらい出来ないなんてやっぱり情けないけど、でも、こんなにお前のこと好きなんだ。

腕に抱き締めた猪里は女の子みたいにそれ程小さくはないけれど、女の子みたいに柔らかくはないけれど。きっとこの先、猪里だって今より成長していくけれど。厚い皮膚の手の平も、オレと変わらない肩幅も、今までの女の子より何倍でも好きだと思えた。

「なして…寂しいって、わかったん?」
「猪里のことなら、何だって。…全部全部、大好きだからNa」
「……ん」

背中に猪里の手の感触を感じて、幸せになる。薄暗く、人のいない道端で。

5cm上の勇気と、5cm下から伝わってくる温もり、感情、愛しい気持ち。思い返しても初々しかったなって、あんなに必死だった自分に苦笑する。情けないエスコートはきっと今だってそう変わるものじゃないけれど。

猪里は、覚えてんだろうか。初めてしたデートはこんな情けなくて。
だけど、今と変わらないくらいお前のこと大好きで。


08/05/07〜08/11/11