“いつかは、終わるんだからな”

現実とも解らないような場所で誰かが言った。その声に聞き覚えがあったような気はするが、思い出す前に記憶は急速に色を失っていった。
それが、誰の言葉だったのかなんてどうだって良かったのだ。ただその言葉の深さを、真正面から受け止めきれなかった。
知っている。わかっている。 ずっと続く筈がないことを、いつかは終わるのだということは理解していたつもりだ。
それなのにあの台詞が頭から離れなくなって目を覚ましたのは、まだ日も昇っていない真夜中のことだった。




うっすらと開けた瞳は一度暗闇を映したが、それはすぐ布団の中に自分の顔があったからだと解った。 頭を上げてみれば、額がこつん、とぶつかる。 その後、俺は先程からずっと抱き締められていたことに気付いた。
思うように出ない声で名前を呼ぶ。 今までずっと、静かに寝息を立てる彼の腕に抱き締められた上で、小さく縮こまるようにして胸へ顔を埋めていたらしい。
起きる気配のない恋人に微笑みかけて、再び身を寄せた。

“いつかは、”

脳裏を過ぎった声に、閉じかけた瞳をもう一度開く。 記憶はもう声のトーンも口調すらぼやけていたが、その言葉だけは残っていた。 まだ上手く回らない思考。 それでも、その言葉の響きだけはしっかりと実感する。

首を動かして見上げれば、さらりと黒髪の垂れた顔があった。 こんなにも至近距離で見ると、自分の恋人は惚気ではなく、素直にかっこいいと思う。 いつも軟弱だと罵っているけれど、男らしくて整った顔。 俺がこいつに惚れた理由なんてまだはっきりと解らないが、ただ、顔で選んだわけではない。
いつの間にか惹かれていて、自分でも意識しないうちに一緒に居たいという気持ちが募っていって、 やっと気付いた頃にはもう頭の中が虎鉄で一杯になっていた。 ただ、虎鉄がたまたま整った顔立ちをしていたというだけなのだ。 けれど、時々こうして改めて見つめてみて愛しさが募るのはいつものことだった。




手を伸ばして頬に触れる、ペイントのなくなった肌は俺程柔らかくはなくて、 代わりに手入れの行き届いた感触を指に残した。
好きだよ、ああ、好きだ。
それだけを脳裏に浮かべると、奥の方から寂しさが込み上げてきた。

いつかは。

もう思うように触れることすら叶わなくなるのだろうか。
嫌だと振り解いても無理矢理巻き付いてくる腕に、抱き締められることはなくなるのだろうか。
こうして愛されているうちに、それが許されるうちに、俺の気持ちを伝える術もなくなってしまうのだろうか。




「好き……好いとうよ…虎鉄。」

声に出してみたら、じわ、と涙が零れてきた。 自分はこれだけお前のことが好きなのに、これだけお前に心を掻き乱されているというのに、いずれは伝えることも出来なくなってしまうというのだ。
それがあまりに悲しすぎた。
もう一度顔を埋めて鳴咽を殺す。 今まで俺を抱き寄せたまま全く動かなかった腕が、後ろからふわりと髪を撫でた。 優しく触れる手の平に益々涙が止まらなくて、口の端から呼吸が漏れていく。
もう一度すきだと呟けば、腕に力が込められた。

「…何が、そんなに不安…?」

寝ていた筈の彼の声が頭上から優しく降ってくる。 腕の中の震えに気が付いて、目が覚めてしまったのだろう。 掠れた寝起きの声は少し色っぽいなと思いながら、それなのに涙は止まらなかった。

「そんなに、泣いたらさ…可愛い顔が台無しだRo…」

そっと涙を拭ってくれる優しさが痛かった。
この手もなくなってしまう。その暖かな視線も届かなくなってしまう。 それが余計に、

「こて、つ、俺、」

子供みたいに泣きじゃくりながら、今まで自分が言えなかった「すき」を全部零す。
こんなに好きなのに。
こんなに大好きなのに。

「…っやけん、」

顔を上げさせられると、ぐしゃぐしゃの目が虎鉄の細い目とかち合った。 すぐ反らしたが、指の先で滴を拭い取られて瞼を下げる。 その上にキスをされて、真夜中にいきなり起こされたのだというのに怒るどころか、優しすぎる行為。
そのまま抱き寄せられると、しっかりと手を回して腕の中に収められる。
同じ男の体格をこれだけしっかりと抱き締められたのはきっと、縋りつくようにして縮こまる俺と、回された腕の強さからだった。

「すき…っ…」
「…わかってる、大丈夫」

いい加減に泣き疲れて、少しずつ鳴咽と涙は収まってきたものの、深い想いは止まらなかった。
落ち着いてきた息で深呼吸。 虎鉄の匂いを一杯に吸い込んで、目を閉じれば虎鉄だけの世界になった。
どれだけ叫んだって、これが一生続くわけもないと、解っているのだけど。 それなのに俺が息を乱したこの数十分は、虎鉄が発したたったの一言で終わることになる。




今までずっと黙っていたくせして、そっと耳に寄せた。顔を上げる。胸が鳴る。
囁くような、

「オレも、好き」

きゅっと、視界を遮った。


06/03/20