02, 甘いささやき


虎鉄がキザな男だというのは、周知の事実だ。
俺は何度も彼が女子を口説いている様を目撃しているし、今更それを咎めようとも思わない。
やめろと言ってやめるのなら、俺達が付き合い始めた当初の時点で虎鉄のナンパ癖はなくなっているのだから、 こうして現在「キザトラ」とかいうあだ名で呼ばれることもないはずなのだ。

虎鉄が日々、彼女らに対してどんなことをささやいているか。
それは考えずとも、俺にでも思いつくような「かわいい」とか「きれい」とか、そういった褒め言葉。
もしくは、俺には到底思いつけないような、長くてキザったらしくて回りくどい口説き文句。
よくもまあ、毎度毎度違った言葉をすらすらと思いつけるものだ。ボキャブラリーの豊富なことで。
それに勿論虎鉄は数度、俺にその口説き文句を向けたことがある。 けれども、残念なことに俺がそれを聞いても解読不能だ。
いくら好きな人に口説かれたからといって、乙女のようにぽうっと赤くなることもなければ、 その言葉にふらふらと腰砕けになることもなく、俺の反応を期待するキザ男に向かって「はぁ?」と白けた返事を返す。
別に腰を抱かれても気色悪いと思うだけだし、聞いてるだけで恥ずかしい単語の羅列にも呆れた。
彼女らもその行為に対して赤くなったりすることはなかっただろうが、実際女子に人気があるのは事実だ。 同様に、俺が虎鉄のささやきに対して頬を染めることはまずないと思っていた。
思っていた、のだ。


顔を覆いたくなる。
が、ポーズ的に女々しそうだったので手を使うことはせず、ただ床を見つめた。 両の腕は二本とも力が入らなくて、どうすることも出来ずにただ肩からぶら下がっていた。
何をこんなに、心臓を働かせているのか。どくどくと体内で鳴る音は落ち着くことがない。
虎鉄はキザだから、長ったらしく、回りくどく、解読不能な言葉を羅列するはずだ。 少なくとも、今まで付き合ってきた半年間ではそうだった。それしか知らなかった。 こんなことは初めてで、知らなかった。
ただくやしいのは、本人が今、自分のしていることに気付いていないこと。

「猪里、まだ…怒ってる?」

俯いた顔を無理矢理覗き込むことを、虎鉄はしない。それはよかった。
でも、顔を上げれば頬が赤くなっていることをばらしてしまうし、 もう怒ってなんかいないと言えば、じゃあ何故顔を上げないのか、ということになる。
だから俺は何も言うことが出来ずに、虎鉄は焦り、また。

「…オレは、猪里のことしか…見てないから。猪里だけがオレの一番で、本気だから。」

静まった部屋に、俺の耳にだけ聞こえるような言い方で彼は言う。 いつもよりトーンを落とし、ささやくような言葉を俺だけに向ける。
虎鉄にとってこの行為は、こうして弁解を続けていると俺がそのうち許してやる気になり、 はいはい、もうわかりました、次からはもう絶対しないこと。と母のように宥めて貰う為のものだ。 だから俺が黙っていれば、まだ弁解が足りないのかと新しく言葉を紡いでいく。
どうして、こう、こいつは。

「おまえだけが好きだよ、猪里。」

ちゃんと信じているから、どうにかなってしまうから、もうこれ以上、俺の思考を女々しくさせるのをやめてくれ。




09/03/28