01, 愛ラブユー


「猪里はオレのコト好きじゃないのかYo…」

敷きっ放しの布団に突っ伏した虎鉄が言った。
台所でスポーツドリンクとミネラルウォーターのペットボトルを抱えていた俺は、思わずそれらを床に落っことしそうになったのだ。
涙目でこちらを見つめてくる男をぎっと睨みながら、俺は二本のボトルを音を立ててちゃぶ台に置いた。

「あんなぁ、好きとか嫌いとか、今更やとは思わんと?」
「だーってー、何回思い出してみても、さっきは猪里一度もスキって言ってくれなかったしー」
「それ以前に体で示しとうやろ体で」
「A、うん。カラダは良かっTa」

身を乗り出して虎鉄の頭をぱんと叩く。 虎鉄は小さく「イタッ」と呻いたが俺は気にすることなく、そのまま虎鉄の近くにあったテレビのリモコンを手に取った。 古いテレビの電源を入れると、休日の夕方にありがちな囲碁の実況番組が映る。
特に興味もそそられないので適当にチャンネルを変えていると、手前の布団でごろごろしていた虎鉄がむくりと起き上がった。

「仮に」

のそのそと布団から移動し、スポーツドリンクのボトルを掴んだ虎鉄が呟く。
俺は相槌も打たずに手元のリモコンでチャンネルを一周した結果、料理番組で手を止めた。 おお、親子丼。美味そう。

「猪里がオレを地球一個分くらい愛してたとして」
「仮なん?」
「いや、コレ例Na。とりあえず地球一個分だとして」
「うん」

別にそんなに沢山愛してなんかないんだからね、とか、そういうのはいらない。否定はしない。 わざわざその言葉を否定して嘘を吐く必要もない。
…隠し味にバターかぁ。なるほど、山椒じゃなくて黒胡椒。充分美味そう。

「オレは地球三個分くらい猪里のコト愛してる自信があるNe」
「……ちょ、待て」

聞き捨てならん。
親子丼の出来上がる様を横目に、俺はスポーツドリンクを一気に減らしていく虎鉄に向き直った。 確かに普段の俺は素直じゃないわけだが、かと言って今の言葉は癇に障る。
いつもの「素直じゃないNa」とか「オレのコト本当に好きなNo」とかそういう言い方ならまだ聞き慣れている。が、 九州男児の俺がここまでやっといてオレの方が愛してるって…俺がどんだけプライド捨ててると思ってんだ。

「きさんは俺がどんだけ努力しとるか分かって言っとるんか!」
「そういうワリに、いっつも抱きついたりくっついたりすんのオレからだし」
「それとこれとは話が違うったい!」
「じゃー今オレに抱きついてキスしてくれRu?」
「っ、それは、」

虎鉄の提案に俺が躊躇すると、奴は拗ねたように唇を尖らせた。
俺に向けられたその視線は明らかに「やっぱりオレの方が愛してんじゃん」と言っている。違くて。そうじゃなくて。 この野郎。俺の性格なんて隅々まで知り尽くしてるとか言っといて。

「きっ、きさんと違って、俺はそげん恥ずかしか真似出来んと!」
「恥ずかしさも吹っ飛ぶくらい愛してくれYo」
「余計恥ずかしいっちゃ!」

虎鉄の余裕そうな表情と、余裕そうな言葉に必死で言い返す俺が負けてるようでとても悔しい。 こいつ、俺が極度の恋愛音痴で奥手で天邪鬼でって分かって言ってるだろ。
でも、もしここでコイツの言う通りに抱きついてキスなんてすれば、結局調子乗られてまた晩飯が遅くなる。
これは虎鉄の罠だ。単純明確な罠だ。こういう展開になったらまず放っておくべきだ。 でも、悔しいものは悔しい。負けず嫌いの血が負けっ放しじゃ癪だと騒ぐ。
最早、料理評論家の三ツ星判定なんて右耳から左耳へさらりと抜けていく。

「絶対、ぜーったいオレの方が愛してRu!」
「プライドへし折っとる分、俺の方が愛しとうっ!」
「おまっ…オレだってプライド捨てて!」
「虎鉄が地球三個分なら俺はブラックホールったい!」



…結局俺は途中で言葉を遮った腹の虫と、虎鉄の笑いたくて仕方ない口元に気付くまで、 初っ端からまんまと虎鉄の罠に引っ掛かっていたことに気付けなかったのだ。




09/02/25